アパルトヘイトが廃止され23年が経った、南アフリカ共和国の現在

アパルトヘイトが撤廃され25年が経った南アフリカ共和国のいま

南アフリカ共和国にいます、きたむ(wakajps)です。

南アフリカでは、12月16日は「和解の日/Reconcile day」と呼ばれる祝日。

これまでボーア人の南アフリカ侵略、アパルトヘイトなど、戦争や人種を絡めた長い歴史を歩んできた南アフリカにとって特別な日。

若い南アフリカ人(白人)に現在の思いを聞く機会がありました。南アフリカの歩んできた道のりを交えて南アフリカの現状をこの記事で綴っていきます。

南アフリカの祝日、「和解の日/Reconcile day」とは?

12月16日は南アフリカの祝日。

もとは1838年、ズールー族がボーア人(白人)に敗れたブラッドリバーの戦いを記念した「誓いの日」。1994年にアパルトヘイトが廃止されたことから現名に変更。

引用:コトバンク

ボーア人は、今ではアフリカーンスと呼ばれるオランダ系移民が先祖。

アフリカ人というと、黒人の方をイメージしがちですが、南アフリカでは黒人と白人のかたが共存しています。(※インド系移民もいます。)

12月16日は、ボーア人が、それまで南アフリカを占拠していたズールー族を制圧した日。

Note about my culture December 16 is very important to us Afrikaans people…

アフリカーンスの方はこう言っています。

Blood Riverでの闘いで多くの兵士を失ったボーア軍。ズールー族の知恵を絞った戦術により、その戦いはかなり苦しめられたと聞きます。

血や涙を流し手に入れた自由、現在でもボーア人にとって忘れてはならない日であることは間違いなさそうです。

そして、南アフリカはアパルトヘイトの時代へ

その後、南アフリカ共和国はアパルトヘイト(人種隔離政策)により、白人主義社会に。

アパルトヘイト(Apartheid)は、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味する言葉で、特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策のことを指す。

かねてから数々の人種差別的立法のあった南アフリカにおいて1948年に法制として確立され、以後強力に推進されたが、1994年全人種による初の総選挙が行われ、この制度は撤廃された。

引用:アパルトヘイト

このアパルトヘイトによって、選挙権、居住区、就業(賃金格差)、教育の分野で差別がおこなわれました。

使用するトイレ、電車でさえも、人種別にわけられていたそうです。人種間を超えた恋愛、結婚、性交渉も背徳法などの法律で禁止されていました。(現在は廃止されています。)

アパルトヘイトの終焉、虹の国へ

1994年、ネルソン・マンデラ氏が主導となり全人種選挙が実施され、アパルトヘイトは終焉をむかえます。

マンデラ政権が最も心を砕いたのは、アパルトヘイト体制下での白人・黒人間、またインカタ派とANC派などといった対立をいかにして収め、全人種を融和させるかということであった。

そのため、それまでの国旗に代わり、6つの原色に彩られた新国旗に象徴される「虹の国」を掲げ、新国歌を制定することを手始めに、様々な手を打っていった。

ネルソン・マンデラ大統領(当時)が掲げたのは、「彩の国/Rainbow Nation」。様々な人種、言語、文化が共存する、南アフリカならではの標語であると思います。

白人主義社会が解体され、新しい南アフリカ共和国が動き出しました。

現在、南アフリカ人(白人)が今考えていること

私はいま、南アフリカ人(白人)の高校生と連絡をとっています。

歴史やズールーの人々に対する話や考えを話してくれるので、それをまとめていくつか紹介したいと思います。

南アフリカ人(白人)の考え方やその現状を知るきっかけになりました。

母語がなくなるかもしれないという寂しさ

南アフリカ人(白人)の母語は、アフリカーンス語。

ほとんどの人が英語も喋ることができますが、彼らはアフリカーンス語が母語であるということに誇りを持っています。

アパルトヘイト時代に共通語として使用されることが掲げられてきましたが、アパルトヘイト廃止により実質的に英語がその座に。

アフリカーンス語は、現在でも使用されている言語ではありますが、社会的にはほとんど使用されない言語となり、話者が減ってきているようです。

悲しいことに、近い将来、私の母語がなくなるかもしれない。。。

 

教育現場で白人に向けた逆差別が起きている?

上にも関係しますが、アフリカーンス語は、アパルトヘイトを象徴するものでもあるという考え方から、学校などの教育現場で、アフリカーンス語を使用しないようにするという動きがあるようです。

何者かの支配によって自分の母語が取り上げられているという感覚、彼女は言っていました。

学校や公的な場で、アフリカーンス語が使われなくなってきてる。。。

 

黒人はトラブルメーカー?

私がコンビタクシーに乗ったことがあると報告をしたときに、とても驚かれたときがありました。危険すぎる、冒険しすぎだと。

別のタイミングで、「乗車したら酔っ払いが少しうるさかった」と伝えてみると、「ズールー人はマナーが悪いし、いつも大声で騒いでる…」との返事。

南アフリカでは、白人の農家がターゲットとされた殺人事件、黒人によるストライキの決行が相次いでいることもあるかもしれませんが、根に持ったようなネガティブな発言が印象的でした。

南アフリカ人(黒人)はどう見ているのか

アパルトヘイトが廃止されて、23年。

そんなに昔の話、というわけではありません。アパルトヘイトを経験した世代はまだ多く残っています。

そんな彼らから聞いたのは、「ヨハネスブルグやプレトリアはまだ白人社会が残っているような気がしている。」、「今いるクワズールーナタール州が一番居心地がいい」という話。

ヨハネスブルグやプレトリアは、アパルトヘイト廃止以前に、多くの白人が居住していた地域。今でもその名残があり、その地域の人口のほとんどが白人。

一方で、クワズールーナタール州は、ボーア人が占拠してくる前に、ズールー族が拠点としていた地域。この地域では、ズールー語が母語として使われています。

黒人にとっては、「白人の人々に対してやや構える」という考えが、まだ少なからずある印象です。

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アパルトヘイトが残した爪痕は根深い

爪痕はそんなに浅いものではない、と私は感じています。白人、黒人にとっても。

いつになったらそれがなくなるかもわかりません。

 

私から見ると、白人にとって、「自分自身が南アフリカ人であるというアイデンティティーを持つこと」が難しいようにも思えます。もちろん、国籍でいえば彼らは南アフリカ人なのですが。

それは、人種だけではなく、言語や文化などの様々な側面から、じわじわと彼らをそう思わせているようにも感じます。

私はどちらの味方、賛同するわけでもなく、彼らの話を聞いています。彼らはアジア人の私に思ったことを包み隠さずに話してくれます。(アジア人は第三者的な立ち位置)

そんな彼女が言っていた言葉で、とても印象に残っている言葉があります。

私は、はやく南アフリカを出たい。私たちは、日本のように誇れる言語や文化を持っていない。自分の先祖がやってきた歴史を知ることで背徳感を感じることもある。

せめて安全な場所で安心して暮らしたい。

私は返すための適当な言葉を見つけることができませんでした。

私が実際に話を聞けたのは彼女一人。

彼女が白人の代表をしているわけでもなければ、白人のかた全てがこのように思っているわけでもありません。それでも一人でもこのように感じている人がいるという事実。

アパルトヘイトが終焉をむかえ23年。今年も人々は今日の「和解の日」を祝う。

本当の”和解”を祝うことができる、その日がいつか来ることを願う。

きたむ(wakajps)でした。

プレトリアのヘーゼルフードマーケット
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アパルトヘイト関連映画

マンデラの名もなき看守

南アフリカで刑務所の看守として働くジェームズ・グレゴリーがロベン島の刑務所に赴任した1968年、アパルトヘイト政策により、反政府運動の活動家の黒人が日々逮捕され、投獄されていた。グレゴリーはそこでネルソン・マンデラの担当に抜擢される。黒人の言葉・コーサ語が解るので、会話をスパイするためだ。妻のグロリアは夫の出世を喜び、順風満帆のようだった。だがマンデラに初めて会った時から、グレゴリーは特別な印象を抱き始める。

自由への長い道

南アフリカでの自由と平等を訴え信念を貫いた男ネルソン・マンデラ。
弁護士から反政府活動家へ、離婚、27年間の獄中生活、そして南アフリカをひとつにし、大統領にまでなった男の真実の姿、その生涯は波乱に満ちたものであった…。
マンデラを演じるのは名優イドリス・エルバ、主題歌はU2の「オーディナリー・ラヴ」。マンデラ自身の著書を元に、あなたの知らないネルソン・マンデラの生涯を描いた感動作。

インビクタス

アパルトヘイトによる27年間もの投獄の後、黒人初の南アフリカ共和国大統領となったネルソン・マンデラは、依然として人種差別や経済格差が残っていることを痛感する。誰もが親しめるスポーツを通して、人々を団結させられると信じたマンデラは、南アフリカのラグビーチームの立て直し図る。マンデラの不屈の精神はチームを鼓舞し、団結させ、奇跡の快進撃を呼び起こす。それは、暴力と混沌の時代に初めて黒人と白人が一体となった瞬間だった。

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きたむ
アフリカではたらくフリースタイルジャパニーズ |三度の飯と写真|87年生の伊豆下田育ち→大学職員人事→ 南ア現地NGOでICT・マイクロファイナンスを軸に活動中|キリマンジャロ登頂|スマホ歴12年|旅行14カ国|仕事7カ国|<プロフィール詳細>

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